2019.1.27 18時時点の今の気持ち
嵐の活動休止が発表された。
大学時代の非オタの友人とカフェで話してる時だった。ジャニオタの友達から「嵐…」とだけLINEが来た。その直後目の前の友人が速報の画面を見せてきた。慌てて確認するためにメールを開けた。FCページは何度かリロードしないと繋がらなかった。
いつもなら店で音声なんて出さないけど、その時ばかりはそのまま動画を見た。周りの音で聞こえなくて、スピーカーを直接耳に当てて、友達に申し訳なく思って全部聞いた。
正直に言えば、腑に落ちた。最初真っ先に感じたのは「やっぱり」だった。
去年奇跡的にツアー初日の札幌に入れた。今まで大阪しか行ってなかったけど、20周年の初日なんて行かない理由がなかった。今から思えば本当に行って良かった。
その時、あまりにも5人が生々しく5人であることの難しさ、重さを赤裸々に挨拶で語っていた。
特ににのが、吐き捨てるように、こっちは人生投げ出してるんだと語ったのが忘れられない。
アイドルというものは基本的に裏での努力を見せない。特に嵐はその傾向があると思う。対照的にエイトはその泥臭い生き方を見せていくことで共感と支持を得てきたと思うしある程度多様化してるけど、嵐はそのタイプではないし、特ににのはそういう所を見せずに飄々とこなすタイプだと思ってた。
だからこそ重かった。ちょっとしんどいくらい。
その時、ふと違和感はあった。あまりにも彼らが赤裸々で、ファンの前で見せたことの無い姿をさらけ出していて。5×20があまりにも5人の集大成のような曲だった。
もしかしたらにの結婚するのかなとか思った。
12/23、東京公演でand moreの全日程が発表された。すげえ、と思うと同時にその大掛かりさに、この人たち、これが終わって向かう先はあるのだろうかとふと感じた。
永遠なんてない。
2018年、身に染みて痛いほど感じたこと。
日程を見て、何となく心の片隅で、これを終えたら、もしかしたら、なんて感じていなかったと言えば嘘になる。
これ程大規模で、本当に彼らの命を削るような、たぶんこれほかの仕事ほとんど入れられないよね?と思うようなスケジュール。
全員来れるよ!って笑顔で言う彼らからの最後のプレゼントのような気がした。
今日。2019.1/27
理由にも納得するし、解散ではなく休止というところに、いつまでも嵐だと言う言葉にたぶん嵐の嵐たる全てがあると思う。
5人とも、グループというものがどれ程脆くて儚くて維持するのが難しいのか痛切に理解してる。ずっっとそんな今にも壊れそうなガラス玉のような宝物を大切に大切に守ってきたんだなって。
そして1人でも欠けたらそれは壊れてしまうんだと。
4人で、ではなく5人で休止することを選んだ彼らが誇らしくて切なくて嬉しくてしんどくて、痛い程愛おしい。
それでも今1番、彼らに伝えたい。
まずは大きな感謝の言葉を。
大野さん、翔くん、相葉ちゃん、にの、松潤、20年間本当にありがとう!!!!!
2017夏 現場備忘録
夏の現場が全て終わった…!
ということで忘れないように書き残しておきます。
私的今年夏の現場は7/22〜9/2
○内訳
・7/22朝 キントレ KING&HiB公演@EX
・7/30夜 A.B.C-Z55コン@城ホ
→バック:ラブ+関ジュ(エイト組)
・8/2 少年たち<初日>@松竹座
・8/6 エイタメジャム@名古屋ドーム
→バック:関ジュ(エイト組)
・8/8,16,18,24 少年たち@松竹座
・8/29 スタタン舞台挨拶@大阪SCC
・9/2 スタタン舞台挨拶@MOVIX京都
○印象的な場面ピックアップ
☆思わず鳥肌が立った部門
8/2初日少年たち2幕
康二流星の掛け合い〜「SHINE ON」
→それまで「少年たち」と「ANOTHER」の要素が入り乱れていて、これどうなるんだ!?と思っていたが、まさかの同時並行で2つの要素が入ったシーンを交互に行うという…!
そして流星、康二のセリフをリンクさせ、最後に「「仲間ってもんやろ!」」と同じセリフを背中合わせで叫んでからの、新曲!
あの舞台の最大瞬間風速はあそこだったと思う
☆思わず全力で叫んだ!部門
8/6ジャムJrコーナー
モニターに柊和がアクロから決め顔してたのをばっちり抜かれた瞬間
→あのドームのでっかいモニターに1人抜かれて、そこでがっつりキメてるのを見て、隣のエイターと思わず「とーわ!!」と叫んだw
初のドームツアーバック、それも大先輩エイトのコンで爪痕がっつり残してた
☆この夏1番エモかった部門
8/6ジャム「ノスタルジア」
→三馬鹿と年下4人で分かれた今回のユニット
4人がそれぞれのステージからセンターへ、歌いながらゆっくり向かって集まっていく所がとにかく良かった
曲も4人に合っていて、本当に蔦谷さんありがとうございます!!
☆思わず変な声が漏れ出た部門
8/16少年たち1幕
看守長と藤原の掛け合いシーンで、藤原を引っ張って行きながら、我慢できず龍太が笑ってしまったのをオペラグラスで捉えた瞬間
→飲み物ネタで中身は軽油
グランド50周のシフト表の件からの軽油までは笑わなかったのに、丈が引き摺られながら、「看守長のサイドブレーキが〜」と下ネタぶっ込んで、ハケ際思わず笑ってしまった横顔よ…
あれは…可愛かった…
☆思わず背筋がゾクッとした部門
8/16〜少年たち1幕
少年歌舞伎後、斗亜のことを隠そうとする康二を殴るシーン
→「もう終わりか?もっと楽しませてくれよ…」と康二を警棒でいたぶってから殴るあの狂気に満ちた顔…
休演挟んでから入れ始めたアレンジで、あのセリフで少年たちを玩具のように扱う看守長の狂気が一気に松竹座を支配してた…
☆純粋に感動した部門
7/22朝キントレ 平野ソロ「LOVE SONG」
→スクリーンに映る海人の、歌詞のストーリーを描いたイラストに合わせて歌い上げる平野の表現力に惹き込まれた
平野のダンスはすごく好きだけど、歌であそこまで惹き込まれたのは初めてかも
スタンディングで、あの演出を正面から見れなかったのが残念
☆自担の可愛さに悶えた部門
9/2スタタン舞台挨拶@京都
→龍太のお母様がまさかの同列にいらっしゃってたというミラクル
出てきて客席見渡した時すぐに龍太の様子がおかしかったけど、まさかのw
途中までは普通に進んでたけど、やたら質問BOXの中身を気にする龍太
リチャが引く時に中身見ながら引いたら「きっしょ!!」と言いながら膝蹴りするw
結局それが母への感謝で、その流れで「そこにおるからな!!?」とやっつけ気味になり、そこから「きしょい」連呼するわ、BOX破壊するわ、勝手に質問引きまくって1人で答えるわ…の暴走
出て行く時まで「(母に)手振るな!」とひたすら照れ隠ししていた28歳…
※その後周りのオタクは話しかけたりせず、遠巻きに「かわいい…」と見とれてました
☆細かい演技がすごい…!部門
少年たち2幕
大吾が斗亜と再会するシーン
→2人の再会を見ていた康二が、亡くなった謙杜の形見であるバンダナを巻いた左手を優しく見、その後その左手を大吾達から見えないように背中で隠して、大吾に「大事にしろよ」と言う場面
この一連のお芝居があったからこそ、大吾への言葉の重みが一気に出た
〜番外編〜
☆今後への反省が必要な部門
8/8少年たち
→まず、私が開演時間を30分間違える
慌てて家を出、恐らく開演にはギリ間に合うか、5分程遅れくらいの遅刻
しかし、この日台風が通り過ぎた直後で、沿線にちょうど上陸していたため、乗り換え駅で30分足止めを食らい、結果松竹座に着いたのは18時過ぎ
「少年歌舞伎」のシーンで1階左右列の席だったため途中入場はかなり迷惑だった…
お手紙で謝りました…
☆現場ではないけど…部門
8/20 サマソニ「Where Is The Love?」
/The Black Eyed Peas
→最初全然誰かわからなくて、ぼーっと聞いてたら、いきなり聞き覚えのあるイントロが聞こえてきて、思わず立ってしまう程驚いた
イントロ1秒でわかったけど、私は翔さんのアレンジver.しか知らなかったから、まさかあの場で、ご本家の生歌に出逢えるなんて思ってなくて…
本当に感動した。何よりこの曲が作られた背景や彼らの想い、そしてそこから更にRap詞を乗せて届けてくれた翔さんの想いを聞いていたから尚更…
日が暮れていく中、ペンラの代わりにスマホのライトで手を振っていたのがとても綺麗でした
ちゃんと原曲もレンタルしたいな
○総括・感想
全体的に関西から出なかった!w
キントレ申し込み忘れ、サマパラ入金忘れというまさかすぎるミスのせいだけど!(自業自得)
ただ去年は留学でほぼ行けなかったので、今年は就活生にも関わらず割と行った方かなとw
あと色んな現場に行くというより「少年たち」に絞って、じっくり味わえた
彼らのちょっとしたアドリブやアレンジ、成長を一緒に感じられて幸せでした
そして何より自分でも引くくらい龍太のことが好きになった夏でした!
おしまい。
松竹座とSee you again…と彼②
さてさて、①でもう他の人からすればどーでもいいわ!!ってくらいのただの私が彼を知ってから彼が目の前から消えるまでを書き殴ったんですが。
(正直読まなくて大丈夫です…が一応リンクw)
さてここからが本題ですw
なぜ私が今日今更、彼のことを書いているかと言うと、『関西ジャニーズJr. X'mas SHOW 2016』12/21夜の公演にて、見学に来ていたジャニーズWEST重岡大毅、藤井流星が参加したMCで彼のことを匂わせる発言があった、とのレポを読んだから。
私は今日の公演は入ってませんし、あくまで何人かのレポを読んで、の感想なので、「何だよお前入ってない癖に何偉そうに語っちゃってんの?w」って思う人はどうぞ回れ右してくださって結構です。(そもそもこのブログそんなに読む人いませんがw)
入った方のレポを読んでわかったざっくりの流れですが、MCに重岡藤井登場、新しい子達入ったんやね、の流れから16年組と呼ばれる5人がMC参加。
その内の1人が當間琉巧(とうまるうく)君で、自己紹介の際に重岡が康二に近づき、何度も名字だけを聞き返した、というものです。
すぐ龍太がフォローし、康二も特に何もなかったようですが。
ちなみにしげは去年のクリパでも同様のことをしていました。(これもレポからですが。)
去年のクリパで康二は水色の衣装を着ていて、それは元々6人の時にとーまが着ていた衣装だったんですよね。
で、康二の兄の話から、しげは言っちゃダメな人の名前を言いそうになったと発言し、周りが誰?と聞くと、「康二、お前の水色の衣装、前誰が来てた?」と。その時は康二は動揺していたと聞きました。
さて、2年連続で彼のことをしれーっと仄めかした台風の目、しげちゃんですが…w
私、不思議なことに去年は何も思わなかったんですよね。むしろ忘れないでありがとう、なんて思った記憶が…。
でも今年はレポを見た瞬間ものすごい怒りが湧き上がってきて、自分でも驚きました。
これはあくまで私の感覚だけども、たぶん私自身、そして彼らがもう前を向いているからだろうなと。
去年彼らが前を向いてなかった、と言う訳ではないですが、去年はまだ主力の1人が抜け、2人が上京し、そして新しい子達が頭角を現していた中で、まだまだ関西Jr.としての形を模索している途中だという印象でした。
しかし今年、博多と梅芸で平野を座長とした『ジャニーズフューチャーワールド』がありました。
康二と平野が同じステージに立つのは久しぶり。しかも2人の出番や立ち位置が多いということから、私は彼の影が見えるのでは、と少しの不安を抱えながら観劇しました。
でも、彼らの中にはもう彼の姿はなくて…
いてほしいとは思うけど、2人とももう別の道をまっすぐ進んでるんだなあと。仮に3人揃っても当時とは違う形になるんだろうなと感じて嬉しいような、悲しいような…
ただ1つ言えるのは彼は彼、康二は康二、平野は平野、それぞれの場所でもうとっくに前を向いて歩きだしているんだろうなと。
だからこそ、今年のしげの発言には、せっかく前を向いている康二や大吾や流星に、そして何よりそれを乗り越えて同じように前を向いて応援しに来ているファンに、後ろを振り向かせるようなことをしないでくれ、と感じたんだと思います。
もしかしたら、彼のことを好きだったファンもいるかもしれない。
本人達は連絡をとれるのかもしれないけど、ファンにとってはもう恐らく二度と会えない好きな人。そんな人の名前をついでのように仄めかさないで欲しい。
特に、それがもうデビューという安全圏内にいる先輩の口から出たことが衝撃でした。
それこそ彼らのデビューの裏には何人もの去って行った元Jr.達、そして彼らの奥にはその背中を泣きながら見送るしかなかったもっとたくさんのファン達がいることは彼らだって痛いほどわかっているはず。なのに。
あとこれはファン関係なくですが、そもそも辞めたJr.は基本的には一般人。
まあ龍太の兄弟や康二の兄の話はJr.以前に兄弟であること、特に龍太の兄弟はまだ同じ業界にいることから何となくセーフという空気にはなっていますが…w
今回のこと、たぶんもう6人の彼らを知らないファンも居たと思いますし、それこそ龍太や康二の兄弟を知らないファンも大勢います。(私もリアルタイムでは知りません。)
なので、もうそろそろ、本人達もいつまでも辞めた人達の名前を仄めかすなんてことやめてほしいなと思います。
そこで得られる悲鳴って何に向けて、誰のためのものなんでしょうね。
松竹座とSee you again…と彼①
眠れない苛立ちともやもやとぐるぐるに突き動かされてもう感情のままに書き殴ろうと思った。
Twitterなどでできるだけ実名を出さないようにひらがなとかイニシャルとか使ってたけど、ここでは実名使って一度だけ叫びたい。
私は!!金内柊真が好きだった!!
ただ、担当とは一生名乗れない。
なぜなら私は彼個人のためにお金を落としてなかったから。
元々嵐だけのファンだった私がエイトやらふらふらして少し経った頃、高校の友人に舞台に誘われた。松竹座の『ANOTHER』だ。
友人は元々松潤ファンで大倉と流星が好きで、そして当時平野紫耀にどハマりしていた。
ただ、デビュー組しか知らなかった私はどこかでJr.にハマるのはオタクっぽい、何かダサいと思っていた(本当にブーメランw)。
だからえーJrはいいや、とお断りしてしまった。数年後死ぬほど後悔するとも知らずに。
ただ、当時何となく他の子からも平野の名前をちらほら聞くようになり、まいジャニを見始め、とーまに出会った。
初めて松竹座に足を運んだのは14年の春松竹。ジャニーズWESTにはそこまで興味がなく、また高校を卒業して暇だったこともあり、まいジャニのあの子たちがメインなら、と同じ友人と一緒に見に行った。
その時も別にそんなに意識してた訳ではなく6人ほぼ平等に好きだった。
ただ、どこか気になるのが彼だった。
これはたぶん関西人特有の感覚だと思うが、例え漫才等をやったことがなくても自分がボケ体質なのかツッコミ体質なのかは皆自分自身で自覚しているんだと思う。
私は昔から紛れもないツッコミ体質で、テレビや舞台で彼と全く同じツッコミを何度もしたことがあるくらい、感覚が似ていた。
そして気になる、が好き、になったのはまいジャニの「感謝」回でWESTに向けて手紙を書いていた時。
元々グループの2番手しっかりおかんポジ大好きな私は、1人涙を流さずにこれからの関ジュを引っ張ろうとしていた彼に惹かれた。
そこからしばらくは順調だったものの、次第に彼の仕事量は少なくなっていった。
ちょうどWESTデビューと前後してしょうれんが推されてる時期だった。2人の露出は別格だったが、シンメである康二よりも少ないな、と思っていた。
衝撃だったのは『少年倶楽部in大阪』。
ドラマであろう大吾はともかく、彼の姿がなかったのには酷くがっかりしたし、その時から良からぬ噂はちらほらあった。
私も何度か覚悟した方がいいのかなとぼーっと思っていた。
彼は高3。そういう時期であるのもわかっていた。
でも疑惑が出ては何かしらの仕事で打ち消されて…を波のように何度か繰り返したのもあって、どこかでやっぱり大丈夫だと思っていた。
秋冬からもっと露出が減った。
まいジャニやあほすきといった、彼でないとダメな仕事でしか見れなくなった。
そして春松竹、平野の姿はなく、永瀬をトップとした公演。
本編のラストに、2人がそれぞれ手紙を読み、そして新曲、『See you again…』を歌った。
もう、だいたいのオタはわかってたんだと思う。
でも私はそこでも躊躇してしまった。
公演直前に彼の団扇を買おうか悩み、わずか数百円を惜しんで買わなかったのだ。
もう、今でもずっっと後悔して心に引っかかったままだ。
私1人が買ったところで何も変わらなかっただろうけど。
そして2015/4/2。彼の名前が公式サイトから消え、写真がショップから全て撤去された。
それを知った時、私の胸にぽっかり穴が空いた気がした。
彼に何も貢献しなかったくせに、いざ居なくなると都合よく寂しくなるなんて。
「本当に大切なものなら失う前から大切にしている。」
どこかでこんなセリフを見たことがあるけど、この時まで私は、彼が自分の中でどれほどの存在になっているのか知らなかった。いや知らないふりをしていた。
Jrを応援することへの抵抗、金銭的な問題、まだ居てくれるだろうという勝手な希望…諸々を言い訳にして気持ちにフタをしていたのかもしれない。
それから彼が辞めたという事実をあれこれ考えたけど、結果として改めて彼の決断は本当に勇気のいることだと思った。
あの、次世代メインと言っても良い、Jr.としては十分すぎるポジションにいて、それでも自分の人生を貫こうとした彼の決断を誰も責めることなんてできない。
寂しいとは思うけど戻ってきてほしいとは思えなかった。
それほど苦悩した上で出した結論だと思った。
だから今、私は素直に彼の第二の人生を勝手に心の中でそっと応援している。
21歳女子大生の私が純粋に思うSMAP解散について
はじめに。これから書くのは本当に主観的なことで、別にだからどうなんだという訳ではなく…ただただ21年間ごく普通に生きてきた私のSMAPへの思い、そしてそこから感じたことを綴っていきたいと思う。
※記憶を辿りながら書いているので時系列に多少おかしい所があっても目を瞑って頂きたい※
私とSMAPとの出会いは恐らく小5の時。
母親がスマスマのビストロコーナーが好きで、よく母と一緒に見ていたのがきっかけだ。
私の両親は揃ってアイドル、そしてジャニーズというものをあまり良くは思っていなかった。母も単純にビストロコーナーが好きなだけでとりわけSMAPを好きでもなく、そんな環境で育った私もジャニーズというものを否定していた。なので私が初めてジャニーズというものを認識したのがSMAPだった。
かと言って好きになる訳でもなく、ただビストロは面白いから見るだけ。
ただ、『世界に一つだけの花』は教科書に載っていたし、『夜空ノムコウ』や『ありがとう』といった歌はテレビで何となく知っていた。
中学に上がり、私は嵐にはまった訳だが、そこでもSMAPはああ、嵐の先輩なんだという認識でしかなかった。ただ、中2の4月頃に草彅さんが公然わいせつ罪で捕まったのは知っていた。その後謝罪と謹慎を経て復帰したこと、そして稲垣さんも昔捕まったことがあることを母と話し、芸能界って逮捕されても普通に仕事できるんだーと思ったのを覚えている。
そこから私は嵐にどっぷりだったのだが、それでもよくスマスマを見ていたし、『MR. BRAIN』などのドラマもはまったりした。私にとってSMAPは他の芸人さんやタレント同様、テレビの中でよく見る割と好きな人たちレベルだった。
ただ、中学の部活にコンサートに行くくらいSMAPを好きな友人がいて、ほぼ毎週のようにチームメイトでカラオケに行っていた時期には、よくその子から色んな曲を教えて貰った。確か『オレンジ』もこの時に知り、さっそくCDを借りてipodに入れたと思う。
その中でも、私は『この瞬間、きっと夢じゃない』がすごく好きだった。確かスマスマのLIVEで、夜景の見える透明なセットの中で5人が歌っていたことを覚えている。それがすごく良かったとも。
さて、そこから中学高校と、同じようなスタンスで、大好きな嵐の先輩として、時にはバラエティで、時にはドラマで目にするくらいだった。ただ、正直に言えば、心の中でどこかSMAPを快く思っていない時期もあった。
『ミュージックステーション』でSMAP、TOKIO、嵐が同じ回に登場した時、SMAPの雰囲気が不穏だった。相葉ちゃんに話を振られた木村さんの目が怖かった。普段仲良しを前面に出す嵐に見慣れていたから余計に。
ほぼ同時期によくネットや週刊誌で嵐とSMAPの世代交代!?なんて記事も目にしていたのもある。ただのファンである私も敵視、とまで行かなくても好意的に見れなかったのかもしれない。
そこから私はさらに色んなグループを好きになり、今ではJrまで広く応援している。もちろん、SMAPも好きだしコンサート行きたいなーなんて思っていた。そんな矢先の解散報道だった。
その時の心情は何というか、『いいとも』や『はなまるマーケット』と言った長寿番組が終わった時の感覚に近かった。今まで当たり前にテレビの中に存在していたものがなくなる寂しさと、でもどこか卒業式のような清々しさ。時代の流れというものなのだろう、と。
私にとってのSMAPは、初めから既に大御所芸能人、スターだった。彼らの苦労した時期も全盛期も私は知らない。でも何かすごい人たちだ、と。そしてそのすごさ故に怖くもあったし、時には少し疎ましくも思っていた。でも、憧れることもファンになることもないけどずっとそこにいる存在だった。そして親世代の青春の象徴でもあった。
私に芸能界、そしてジャニーズの輝きと怖さ、その魅力を初めて気づかせてくれた人達、それがSMAPだった。
解散が正式に決まった時は純粋にお疲れ様、と言いたかった。たぶん、私の中のSMAPはアルバムの1ページとなって私の心の中に収まるのだろう。たまに曲を聴いたり、ドラマを見たりして思い出し、懐かしんだりして。
そして、もし私に子供ができてその子がSMAPに出会った私くらいの年齢になったら、『世界に一つだけの花』や『オレンジ』を聴かせよう。その時5人はどうしているのかわからない。でもSMAPの写真や動画を見せて、こんなグループがあったんだよ、と。さすがにその子には世界で2番目に好きだ、とは言えないだろうけど。