いつか掴めるのかな、あの星を

関西で生まれ育ったジャニオタがただ語りたいだけジャニーズを語るブログ

松竹座とSee you again…と彼①

眠れない苛立ちともやもやとぐるぐるに突き動かされてもう感情のままに書き殴ろうと思った。

 

Twitterなどでできるだけ実名を出さないようにひらがなとかイニシャルとか使ってたけど、ここでは実名使って一度だけ叫びたい。

 

私は!!金内柊真が好きだった!!

 

ただ、担当とは一生名乗れない。

なぜなら私は彼個人のためにお金を落としてなかったから。

 

元々嵐だけのファンだった私がエイトやらふらふらして少し経った頃、高校の友人に舞台に誘われた。松竹座の『ANOTHER』だ。

友人は元々松潤ファンで大倉と流星が好きで、そして当時平野紫耀にどハマりしていた。

ただ、デビュー組しか知らなかった私はどこかでJr.にハマるのはオタクっぽい、何かダサいと思っていた(本当にブーメランw)。

だからえーJrはいいや、とお断りしてしまった。数年後死ぬほど後悔するとも知らずに。

ただ、当時何となく他の子からも平野の名前をちらほら聞くようになり、まいジャニを見始め、とーまに出会った。

 

初めて松竹座に足を運んだのは14年の春松竹。ジャニーズWESTにはそこまで興味がなく、また高校を卒業して暇だったこともあり、まいジャニのあの子たちがメインなら、と同じ友人と一緒に見に行った。

その時も別にそんなに意識してた訳ではなく6人ほぼ平等に好きだった。

ただ、どこか気になるのが彼だった。

これはたぶん関西人特有の感覚だと思うが、例え漫才等をやったことがなくても自分がボケ体質なのかツッコミ体質なのかは皆自分自身で自覚しているんだと思う。

私は昔から紛れもないツッコミ体質で、テレビや舞台で彼と全く同じツッコミを何度もしたことがあるくらい、感覚が似ていた。

 

そして気になる、が好き、になったのはまいジャニの「感謝」回でWESTに向けて手紙を書いていた時。

元々グループの2番手しっかりおかんポジ大好きな私は、1人涙を流さずにこれからの関ジュを引っ張ろうとしていた彼に惹かれた。

 

そこからしばらくは順調だったものの、次第に彼の仕事量は少なくなっていった。

ちょうどWESTデビューと前後してしょうれんが推されてる時期だった。2人の露出は別格だったが、シンメである康二よりも少ないな、と思っていた。

衝撃だったのは『少年倶楽部in大阪』。

ドラマであろう大吾はともかく、彼の姿がなかったのには酷くがっかりしたし、その時から良からぬ噂はちらほらあった。

 

私も何度か覚悟した方がいいのかなとぼーっと思っていた。

彼は高3。そういう時期であるのもわかっていた。

でも疑惑が出ては何かしらの仕事で打ち消されて…を波のように何度か繰り返したのもあって、どこかでやっぱり大丈夫だと思っていた。

 

秋冬からもっと露出が減った。

まいジャニやあほすきといった、彼でないとダメな仕事でしか見れなくなった。

そして春松竹、平野の姿はなく、永瀬をトップとした公演。

本編のラストに、2人がそれぞれ手紙を読み、そして新曲、『See you again…』を歌った。

もう、だいたいのオタはわかってたんだと思う。

でも私はそこでも躊躇してしまった。

公演直前に彼の団扇を買おうか悩み、わずか数百円を惜しんで買わなかったのだ。

もう、今でもずっっと後悔して心に引っかかったままだ。

私1人が買ったところで何も変わらなかっただろうけど。

 

そして2015/4/2。彼の名前が公式サイトから消え、写真がショップから全て撤去された。

それを知った時、私の胸にぽっかり穴が空いた気がした。

 

彼に何も貢献しなかったくせに、いざ居なくなると都合よく寂しくなるなんて。

「本当に大切なものなら失う前から大切にしている。」

どこかでこんなセリフを見たことがあるけど、この時まで私は、彼が自分の中でどれほどの存在になっているのか知らなかった。いや知らないふりをしていた。

 

Jrを応援することへの抵抗、金銭的な問題、まだ居てくれるだろうという勝手な希望…諸々を言い訳にして気持ちにフタをしていたのかもしれない。

 

それから彼が辞めたという事実をあれこれ考えたけど、結果として改めて彼の決断は本当に勇気のいることだと思った。

あの、次世代メインと言っても良い、Jr.としては十分すぎるポジションにいて、それでも自分の人生を貫こうとした彼の決断を誰も責めることなんてできない。

寂しいとは思うけど戻ってきてほしいとは思えなかった。

それほど苦悩した上で出した結論だと思った。

 

だから今、私は素直に彼の第二の人生を勝手に心の中でそっと応援している。