いつか掴めるのかな、あの星を

関西で生まれ育ったジャニオタがただ語りたいだけジャニーズを語るブログ

いつも隣にいた君

2019.8.8

19年振りのジャニーズJr.による東京ドームコンサート

そこでJrのユニットであるSixTONESSnow Manの2020年CDデビューが発表された

 

デビューを自らの口で発表した15人それぞれの長い長いJr時代の中でも、特に異色だったのが向井康二だと思う

 

私の中で康二は関西Jr.の象徴で、あの子の存在が関西Jrを体現していた

そして同時に、初めて好きなったJrの唯一の、最初で最後の相方であり、今の自担の盟友

松竹座のあの空間で、小さい頃からずっとマイクを持ち、直近5年間は最前列に居続けた

 

同期や後輩もいるジャニーズWESTがデビューした時、日生のあの舞台を観劇して泣いてたね

あの時は6人が関ジュをこれから引っ張っていくんだと思ってた

康二ととうま、2人は特にこれからを背負っていくという強い決意と覚悟を持ってWESTの7人を見送ったんだと思う

でも、彼らが最前列に立ってすぐ、エースだった2人が東京に行くようになった

分かってる。ほんの少し前まではかねこじ2人が7WEST達に混じって仕事をしてたし、ほんとに次世代として十分推されてた

でもしょうれんは明らかに結果を残してしまった

当時、私は行かないでとは思わなかった

関ジャ二∞がデビューしてからジャニーズWESTがデビューするまで10年。いや10年後にデビューさせてもらえる保証はどこにもない

かねこじは粘って粘ってヨコヒナ、B.A.D.に続いて最年長シンメとしての立ち位置に居座るしかないと思ってた。

でもしょうれんは違う。彼らは東京に出ても通用する人気と華があった。かねこじになかったとは思わないけど、でもあの時のしょうれんはほんとにすごくて

私には2人が関西に残って10年近くJrで居続ける未来は想像できなかった

 

2人が東京と行ったり来たりして程なく、とうまの仕事が減ってきた

そして良くない噂をちらほら耳にするようになった

彼じゃないとダメな仕事しかいなくなった

関ジュにとって大一番のin大阪にもいなかった。個人のレギュラーには出続けてたけど、関ジュ全体の仕事にちらほらいないことがあった。

この年のin大阪はしょうれんがメインで、とうまも別仕事だった大吾も文一もいなかった。

東京で活動してたしょうれんかいのオリ曲「愛は味方さ」をしょうれん+康二流星龍太でやって、私は今でもこの時の「愛は味方さ」がすごく好きで忘れられない

龍太流星は端っこであんまり映らなくて、しょうれんの間、センターに康二がいて、笑顔だけど、楽しそうだけど何となく切なくもあって

でもキレキレで3人の曲を踊る康二がすごくかっこよかった

 

こうして、6人のうち2人は東京に行き、1人は辞めた

3人のユニットだったのに残ったのは康二1人だった

最後の春松竹、既にしょうの出演はなくて、ポスターにでかでかと出てたれんも最後で

WESTがデビューして初めて貰えたオリ曲はいつの間にか東京の子達に歌われてたね

6人で最後を迎えることもなく、約1年で彼らと見た夢は儚く散ってしまった

 

私は言ったことなかったけど、この後彼らが自虐的に口にする「焼け野原」になる

まだ道枝達トリオは入所したばかりで、メインとなるユニットはバラバラになって、いつの間にか個人戦になった

メインと呼ばれる括りに文一龍太がいたのは3人の補強だったと思う

6人時代のまいジャニでは先輩ゲストだった2人がホスト側になった

今思えばあの時2人がいてくれたことの安心感はすごかった。と、同時に特に龍太にとっては転がってきたチャンスだったと思う

今現在龍太担の身としては、あの時あの子が辞めてなかったら…と考えてしまうw

 

ここからますます康二と大吾は関ジュを背負う立場になった

特に大吾はそれまで真ん中に立つことが少なかったから、当時のプレッシャーはすごかったと思う

康二と大吾、2人並び立つことが多かったのに、ここは最後まで「シンメ」にはならなかった

なぜかと言われると今でも私には分からない

ただ、大吾はたぶんシンメを必要としない子だったんだと思うし、単純にタイプが違ったのかも

数年間隣にいたのに、いつまでも康二と大吾だった

 

それは康二と龍太もそう。歴も年齢も差があったのもあるけど、シンメかと言われると私にはそうは思えなくて

メイン4人で大西畑とるたこじになることは多かったけど、立ち位置としては大吾康二と流星龍太で見えない壁があったし、龍太は雑誌でも呼ばれたり呼ばれなかったりだった

2017年の夏松竹、大西畑で殺センセーションズ、るたこじでSteal your loveをやったこのあたりから、私は康二に龍太と離れて欲しいと少し思ってた

プライベートでも仕事でもとにかく龍太くんで、でも龍太はもうそんなに関ジュにいる時間は長くない状況

このまま龍太とやっててもあの子の未来は良くならないのでは…と勝手にネガティブになっていた

2018年の夏松竹。龍太の劇の出番はほぼなく、パンフのセトリには知らない曲が3曲。初日、ミッデビを見た瞬間これはユニットになると感じた

大吾センターのミッデビ、流星センターのスパロケときて、康二センター曲がくると思った

そして出てきた2人のLMG!

龍太担として嬉しくて泣いた。号泣だった。と同時に康二のことが心配で仕方なかった

ほぼ間違いなく龍太は来年松竹座にはいないのに2人で貰えたオリ曲

康二担はどんな気持ちだったんだろう

私は申し訳なかった。康二の足を引っ張ってるような気がした

龍太のことを切り捨てられるような子じゃないし、2人がやりたくてやってるのも分かってる。でも、正直この2人でやっていく未来は見えなかった

 

そしてなにわ結成発表

康二と大吾がシンメにならなかった以上、どちらを核にして組むか選ばなきゃいけない。そしてそうなった時選ばれたのは大吾だった

その2人が同じユニになることはないと思ってた

梅芸もクリパもるたこじ+F6括りで、メインにされるのは嬉しいけど、複雑だった

 

2019.1.4

あけおめの号泣レポを読み、崩れ落ちた

康二が出演できないこともあって、龍太も春の松竹座にいないだろうとは思ってたけど、でも現実を突きつけられた

この時たぶんほとんどのファンは龍太の卒業しか思わなかったんじゃないかと思う

実際私もそう思ったけど、ほんとにほぼ全員が泣いてたと聞いて、あとからもっと大きなお知らせがあるのでは…と不安になった

 

そして康二のSnowMan加入発表

関ジュのユニだった3人が全員東京で活動することになった

この時はもう嬉しくて。背中を押してあげたかった

それからスノを見るようになって、最初はぎこちない所もあったけど、それまで関ジュの最前線に立ってた康二が1から必死に努力して、自分の居場所を掴んでいった

少年たち公開やたまアリ等、東西の仕事もあったから本当に康二が東西Jrの架け橋になっていた

あの子の過ごしてきた日々は何一つ間違いじゃなかった

Mステ出演のために舞台挨拶中に送り出した時、あれが関ジュとしての最後のお仕事だったね

ギリギリまで居ようとしてくれて、最後まで手を振って帰った姿、本当にかっこよかった

 

8.8

関ジュとしてデビューすることは叶わなかった

そこにシンメも相方もいなくて、でも頼れる8人のメンバーがいた

あの子が関ジュとして築いてきたこと、積み上げてきたものはこれからもどんどん輝き続けるし、あの子が残してきたものも関ジュの中で生き続けるんだろう

 

 

康二くん

あなたは私の中の関ジュそのもので、一時の青春の象徴でした

いつも好きな人の隣で笑ってて時には拗ねて

ほんとは私の好きな人も隣にいて欲しかったけど、でもたぶんあなたはその人達の分まで輝いてくれるんでしょう?

康二ならそう信じさせてくれる

あの宝物のようなキラキラの日々をくれてありがとう

そしてどんな形でも夢を叶えてくれてありがとう

これからはあなたの存在が夢そのものなんだと思います

ここからだね。まだスタート地点。

もっともっともっと大きくなって、燦然と咲き誇って下さい

本当にデビューおめでとう