『オリエント急行殺人事件』原作との比較考察
2019/7/26~8/18に行われた舞台と原作との比較考察
☆舞台版における大きな変更点
①キャストの人数と役割
原作:実行犯12人+ラチェット・伯爵夫人・ポアロ・ブーク・コンスタンティン医師の17人がメイン
舞台:実行犯7人+ラチェット・伯爵夫人・ポアロ・ブークの11人がメイン(※ラチェットとアーバスノット大佐は1人2役のためメインキャストは10人)
原作の実行犯の内、アンドレニ伯爵、マスターマン、シュミット、ハードマン、フォスカレリが舞台にはいないが、伯爵は協力する意思があったものの夫人が部屋に閉じ込めて不在、シュミットは冒頭の公爵夫人のセリフでインフルエンザであると説明がなされている。
また原作ではポアロ・ブーク・コンスタンティン医師の3人で検死と事情聴取を行うが、この医師の役割をアンドレニ伯爵夫人が休学中のハンガリーの医大生であるという設定を追加して担っている。
②殺人の動機
①の人数変更に伴い、原作では陪審員の数が12であることから12人で刺すことで裁きを下したという理由付けが、「ラチェットは7つの大罪を犯した」「キリスト教における七元徳のそれぞれを担って裁いた」とオルソンとポアロのセリフによって「7」という数字が強調され理由付けの説明がされている。
この時、ポアロが「知恵・勇気・節制・正義」の4つを、オルソンが「信仰・希望・愛」の3つを述べるという形で分かれているが、これは前半4つが人間としての基本となる徳(枢要徳)、後半3つが神に対する徳(対神徳)にあたり、この2人がそれぞれ特に重きを置いていた思想だからではと考えられる。
特にポアロにおける「正義」とオルソンの「信仰」は劇中何度も強調されている。
③ミス・デブナムによる発砲
ラチェットの正体がカセッティであると明るみになり、再度の個人事情聴取後にラチェットの部屋から銃声が聞こえ、デブナムが左腕を撃たれて出てくる。
大佐が車掌の服を来た犯人を追って出たとデブナムが証言し、それを聞いたマックイーンも追走。結果として大佐が剥ぎ取ったとして車掌の制服が回収される。
このシーンは舞台版オリジナルである。
この時伯爵夫人は食堂車でポアロ達と会話しており、大佐とデブナム2人が伯爵夫人を容疑者から外すために行ったことと後で明かされる。
これは計画外の行動だったため動揺したハバード夫人がデブナムを「メアリ」と呼んだことでポアロがハバード夫人の正体に気付くきっかけになった。また車掌の制服を回収するためのシーンとも言える。(原作ではシュミットの鞄から回収)
ただ、最後の1人ずつナイフを突き刺すシーンでデブナムは左手で持っていることから恐らく左利きであり、そうなるとポアロの「自分で自分を撃った」という推理が若干不自然になる。右手で自分の利き手を撃つことも可能ではあるが、致命傷を避けていることから協力者であり武器の扱いに慣れている大佐が撃った可能性も考えられる。
④犯人自供までの流れ
ポアロがアンドレニ伯爵夫人と協力し、伯爵夫人を犯人であると名指しした後、その混乱に乗じて暗闇を作り出し、ハバード夫人の嘘を暴く。
伯爵夫人はいち早く真相に気付き、ポアロの協力者としても立ち回りつつ7人を捕まえないよう懇願する役割を担っている。
☆犯行の流れ比較
原作
21:15 ベオグラード出発
・ポアロ1号室へ移動
21:40 マスターマンがラチェットの傍に睡眠薬を置いて部屋を出る
22:00 マックイーンがラチェットの部屋を出る
その後大佐の部屋へ
22:40 オルソンが鎮痛剤を貰いにハバード夫人の部屋へ
誤ってラチェットの部屋を開ける(生きてる姿を最後に見た)
ドアの施錠を確認
0:10 ヴィンコヴチ出発(遅延あり)
0:30 雪だまりに列車が突っ込む
0:37 ラチェットの部屋のベルが鳴り、ミシェルが駆けつける。フランス語での「なんでもない。間違えたんだ」の返答
1:15頃 シュミットが車掌の制服を着た男とすれ違う
※壊れた時計は1:15を差して止まっていた
1:17 ハバード夫人が部屋で男を目撃し、ベルで車掌を呼ぶ
ポアロがミネラルウォーターをミシェルに頼む
11:00 ミシェルと列車長が遺体発見
舞台
21:15 ベオグラード到着
・ポアロ1等Ⅰ番へ移動。
・オルソンが鎮痛剤を貰いにハバード夫人の部屋へ。誤ってラチェットの部屋への扉を開け、怒鳴られる。
・ミシェルが部屋内のドアを施錠する。
・ラチェットが銃を持っているとハバード夫人が訴え、ポアロが守ることを誓う。
21:45 ベオグラード出発
23:30 ヴィンコヴチ到着
・大佐とミス・デブナムが外へ。その後マックイーン、伯爵夫人も外で会話。
・ハバード夫人に呼ばれマックイーンが夫人のクリームの蓋を開けに行く。
23:40 ヴィンコヴチ出発
・ポアロがミシェルに炭酸水を頼む。
・マックイーンがラチェットに赤ワインを持って行く。
・ラチェットがハバード夫人の鼻歌に腹を立てマックイーンに黙らせろと命令。
・マックイーンがミシェルにスコッチと氷を頼み、大佐のいるⅧ号室へ
00:37
・ラチェットの部屋で物音。ポアロとミシェルが確認したところ「問題ない」と男の声で返答あり
※マックイーンと大佐がラチェットの睡眠の確認のため侵入したが少し起きてしまったことにより揉み合いになったと後に自供。返答は大佐
00:45
・大佐が追加の氷をミシェルに頼む
・その直後ハバード夫人が室内に車掌の制服を着た男がいたと悲鳴を上げ出てくる。
ミシェルとポアロが室内を捜索したがいなかった。
※ハバード夫人による創作
※壊れた時計は0:45を差して止まっていた
その後ハバード夫人はミス・デブナムとオルソンの部屋へ
1:00 オルソン就寝
2:00前 公爵夫人に呼ばれていたアンドレニ伯爵夫人が睡眠薬を飲まされたため自室に戻り就寝。
2:00 ハバード夫人がミス・デブナムのベッドで寝たため、ミス・デブナムがハバード夫人のⅢ号室へ
※女性3人による部屋の交換はそれぞれのアリバイ作りのためと考えられる
同時刻、7人による殺人が決行される
4:00 雪が止む
5:00 雪だまりに突っ込み列車が停止
8:00 マックイーンが朝食を持ってラチェットの部屋へ。返事がなく、その時居合わせたポアロが異変に気付きドアをぶち破り事件発覚
☆現場に残された証拠品
・パイプクリーナー
原作:捜査を混乱させるためにわざと置かれたもの。アリバイがあり、アームストロング家との関係性を調べるのが困難な大佐に疑いがかかるように偽装。
舞台:大佐のものではないと確認。
マックイーンが偽装したものだが、パイプを吸う習慣がないため不自然な状況になった。
原作同様、捜査を撹乱するためだと思われる。
・「H」のイニシャルの入ったハンカチ
原作:現場に落ちていた。公爵夫人の物。
これも捜査を撹乱するため最も犯人像から遠い公爵夫人に敢えて疑いのかかるものを残した。
疑いの目を逃れるためにアンドレニ伯爵がパスポートの「Helena」を「Elena」に偽装。
舞台:ラチェットの上着のポケットから現場検証後ブークが発見。僅かに血の跡あり。
ラチェットが生前アンドレニ伯爵夫人に迫り、平手打ちにあった際に夫人がお詫びと共に渡した物であり、事件とは無関係であるとされている。ポアロが預かっており、発見後夫人を捜査から遠ざけたため当初は重要証拠として考えられていたと思われる。
また、このハンカチを見たミシェルが夫人に疑いがかからぬようにパスポートを偽装し、結果としてミシェルが共犯である証拠の1つになった。
・壊れた時計
原作:時計の針は1:15で止まっていた。ラチェットのパジャマの胸ポケットから発見。
これにより当初は1:15に犯行は行われ、その後ハバード夫人の部屋に行き逃亡と思われていた。
しかし寝る時に胸ポケットに時計を入れるのは不自然であるとしてポアロは偽装されたものと断定。
舞台:時計の針は0:45で止まっていた。ラチェットの胸ポケットから発見。
ガラスの破片がベッド前の床にあったため、ポアロは偽の証拠であると考えた。マックイーンが偽装したもの。
・アームストロングの名前の紙
原作:灰皿に残った燃えカスをポアロが針金を熱して復元。アームストロング家の名前が浮かび上がり、ラチェットの正体が露呈。
舞台:何かを燃やしたと思われる状況の灰皿のみ。洗面台に流されて引っかかっていた紙をブークが発見。「Arms」の文字のみ判別。
(1幕で水道の水圧が弱いとハバード夫人の発言の伏線あり)
その後アンドレニ伯爵夫人のパスポートの旧姓からアームストロング家にたどり着く。
・凶器のナイフ
原作:ハバード夫人の化粧ポーチから発見された。逃走時ハバード夫人の部屋を通った際に入れたように偽装。
舞台:在り処は一切触れられなかった。
検死を行ったアンドレニ伯爵夫人が鍔の跡や刃渡りの長さから「トルコのお土産物屋で売っているようなナイフ」と特定。
また、全体のアリバイを聞いた際ポアロの「右手と左手両方で付けられた傷がある」との問いかけに、ミス・デブナムが「力を入れるとナイフの鍔で怪我をすることがあるためではないか」と発言したが、舞台中ではこの時ポアロ達3人以外には凶器は知らされていないため口を滑らせた形になった。(この件について本編での指摘はない)
パイプクリーナーとナイフは舞台ではさほど重要な証拠でないように演出されている。
ハンカチは原作と異なりアンドレニ伯爵夫人のものであり、ポアロと伯爵夫人が他の乗客を騙す時に伯爵夫人を追い詰める証拠として使われる。
一方アームストロングの名前のメモが舞台では不完全な状態で見つかったため、ラチェットの正体に辿り着くまでが遅く、ここが1つの山場ように演出されている。
壊れた時計は原作では偽装と見抜かれることを予測した上で、本来の犯行時刻は0:37であるとミスリードする役割を持っていたが、舞台では2重トラップにはならず、単なるミスリードとマックイーンのミスとして処理されている。
また、原作では傷の力の強弱と右利き左利き問題を解消するために「車掌の制服を着た男」と「赤いガウンの女」の2人の容疑者を乗客達が偽装したが、舞台では前者のみを偽装し、傷の問題は上記の「ナイフの鍔で怪我をしたから持ち替えた」というデブナムの発言で回収している。
☆舞台における演出
・犯行現場の再現
全員の自供の後1人ずつナイフを持ち、映像に合わせて犯行の動機を述べながらナイフを突き立てるシーンがある。
ここでデブナムとマックイーンが左手で持っていることから、2人が左利きであると分かる。
・マックイーンのキャラクター
アメリカのサウスキャロライナ出身という英語の南部訛りを関西弁で演じることで表現した。
また同じアメリカ人であるという理由で序盤から度々ハバード夫人にこき使われ、アンドレニ伯爵夫人には積極的にアプローチするなど、全体的にお調子者で少し不憫なキャラクターになっている。
ただ、ラチェットの部屋にマックイーンと大佐が忍び込んだ場面で原作ではラチェットが話せないフランス語を、また2015年の三谷幸喜のドラマ版では敢えて博多弁で返答し、2重のトラップに仕立てていたが、舞台版ではマックイーンがいたにも関わらず大佐が返答をしたためポアロへのトラップとしての機能は果たしていなかった。
・ポアロの苦悩
原作ではブークとコンスタンチン医師の意見を聞き、真実を公表しないことを決めたところで終わっている。
この苦悩を語ることで原作では読者の想像に任せてた部分を舞台なりの着地点に落ち着かせたんだと感じた。
☆個人的な感想
舞台というキャストが限られた中で、あえてキャストの人数を減らして全員の背景とトリックに重点を置いてたのが印象的。
また時系列のトリックを舞台という変わらない空間で演出するのはかなり難しかったと思うが、マッピングで時間や吹雪を出すのが古典ミステリーと最新技術のコラボになっていて良かった。OPのキャスト紹介も秀逸。
コミカルなところはコミカルに、日替わりのアドリブもふんだんに取り入れつつシリアスできっちり締め、犯行暴露後にも笑顔を見せる犯人グループ達の悲哀がすごく良かった。
また、ポアロの苦悩も描き問いかけて終わるラストも良かった。