いつか掴めるのかな、あの星を

関西で生まれ育ったジャニオタがただ語りたいだけジャニーズを語るブログ

21歳女子大生の私が純粋に思うSMAP解散について

はじめに。これから書くのは本当に主観的なことで、別にだからどうなんだという訳ではなく…ただただ21年間ごく普通に生きてきた私のSMAPへの思い、そしてそこから感じたことを綴っていきたいと思う。

※記憶を辿りながら書いているので時系列に多少おかしい所があっても目を瞑って頂きたい※

 

私とSMAPとの出会いは恐らく小5の時。

母親がスマスマのビストロコーナーが好きで、よく母と一緒に見ていたのがきっかけだ。

私の両親は揃ってアイドル、そしてジャニーズというものをあまり良くは思っていなかった。母も単純にビストロコーナーが好きなだけでとりわけSMAPを好きでもなく、そんな環境で育った私もジャニーズというものを否定していた。なので私が初めてジャニーズというものを認識したのがSMAPだった。

かと言って好きになる訳でもなく、ただビストロは面白いから見るだけ。

ただ、『世界に一つだけの花』は教科書に載っていたし、『夜空ノムコウ』や『ありがとう』といった歌はテレビで何となく知っていた。

 

中学に上がり、私は嵐にはまった訳だが、そこでもSMAPはああ、嵐の先輩なんだという認識でしかなかった。ただ、中2の4月頃に草彅さんが公然わいせつ罪で捕まったのは知っていた。その後謝罪と謹慎を経て復帰したこと、そして稲垣さんも昔捕まったことがあることを母と話し、芸能界って逮捕されても普通に仕事できるんだーと思ったのを覚えている。

 

そこから私は嵐にどっぷりだったのだが、それでもよくスマスマを見ていたし、『MR. BRAIN』などのドラマもはまったりした。私にとってSMAPは他の芸人さんやタレント同様、テレビの中でよく見る割と好きな人たちレベルだった。

 

ただ、中学の部活にコンサートに行くくらいSMAPを好きな友人がいて、ほぼ毎週のようにチームメイトでカラオケに行っていた時期には、よくその子から色んな曲を教えて貰った。確か『オレンジ』もこの時に知り、さっそくCDを借りてipodに入れたと思う。

その中でも、私は『この瞬間、きっと夢じゃない』がすごく好きだった。確かスマスマのLIVEで、夜景の見える透明なセットの中で5人が歌っていたことを覚えている。それがすごく良かったとも。

 

さて、そこから中学高校と、同じようなスタンスで、大好きな嵐の先輩として、時にはバラエティで、時にはドラマで目にするくらいだった。ただ、正直に言えば、心の中でどこかSMAPを快く思っていない時期もあった。

ミュージックステーション』でSMAPTOKIO、嵐が同じ回に登場した時、SMAPの雰囲気が不穏だった。相葉ちゃんに話を振られた木村さんの目が怖かった。普段仲良しを前面に出す嵐に見慣れていたから余計に。

ほぼ同時期によくネットや週刊誌で嵐とSMAPの世代交代!?なんて記事も目にしていたのもある。ただのファンである私も敵視、とまで行かなくても好意的に見れなかったのかもしれない。

 

そこから私はさらに色んなグループを好きになり、今ではJrまで広く応援している。もちろん、SMAPも好きだしコンサート行きたいなーなんて思っていた。そんな矢先の解散報道だった。

その時の心情は何というか、『いいとも』や『はなまるマーケット』と言った長寿番組が終わった時の感覚に近かった。今まで当たり前にテレビの中に存在していたものがなくなる寂しさと、でもどこか卒業式のような清々しさ。時代の流れというものなのだろう、と。

 

私にとってのSMAPは、初めから既に大御所芸能人、スターだった。彼らの苦労した時期も全盛期も私は知らない。でも何かすごい人たちだ、と。そしてそのすごさ故に怖くもあったし、時には少し疎ましくも思っていた。でも、憧れることもファンになることもないけどずっとそこにいる存在だった。そして親世代の青春の象徴でもあった。

私に芸能界、そしてジャニーズの輝きと怖さ、その魅力を初めて気づかせてくれた人達、それがSMAPだった。

 

 

解散が正式に決まった時は純粋にお疲れ様、と言いたかった。たぶん、私の中のSMAPはアルバムの1ページとなって私の心の中に収まるのだろう。たまに曲を聴いたり、ドラマを見たりして思い出し、懐かしんだりして。

 

そして、もし私に子供ができてその子がSMAPに出会った私くらいの年齢になったら、『世界に一つだけの花』や『オレンジ』を聴かせよう。その時5人はどうしているのかわからない。でもSMAPの写真や動画を見せて、こんなグループがあったんだよ、と。さすがにその子には世界で2番目に好きだ、とは言えないだろうけど。